Calligraphy



毎年元日に写経していますが
これは2012年元日に書いたものです





しばらく書から離れていましたら、高校の6年後輩が集まって月に一回書道の練習をしているのに誘われて、2005年の5月から参加させていただいています。 
指導は菽水書人社参与、産経国際書展審査会員、慶応義塾大学書道会講師などをしておられる今田正純(篤洞)さんです。
同窓会のような和気藹々とした集まりで、約1時間半皆さんと墨の香りを楽しんでいます。
以下の書はその会で書いたものです
  (2010,7,8)





米芾 李太師帳 臨




士の蘭亭叙の臨書を試みました、慣れないこともあって、この大きさ(半切)になかなか旨く
納まらず、また字数が多いので、あちらが立てばこちらが立たずで、いつ仕上がるやらとの思いで
2枚書いてくたびれました。




王 鐸 臨

























張瑞図 臨





黄庭堅 臨



張瑞図 感遼事作六首巻 の臨書はここからご覧になって下さい
























米芾 






















(2004)
水谷春晶先生の作品に魅せられて、60も半ばを過ぎてから門をたたき、先生のお教室で週一回の手習いを始めました。
中学校で学んだ時以来のお稽古でした。
会社のオフィスが移転して教室に通うのに時間がかかるようになったうえに、仕事が忙しくなったために二年あまりで筆を置いてしまいましたが、どちらかというと小柄で痩せておられる高齢の先生が素晴らしい気にあふれた作品を書かれるのに直に接してとても感動したものです。
また、絵や音楽とはまた異なる深い芸術の世界を覗き見ることが出来たように思えて学ぶところ大でした。

下のはその教室で私が書いたものの一部です。
要するに先生の模写なのですが、未熟なのを承知で載せることにしました




























たけくらべ   樋口一葉作

右から左へ読んでください。


たけくらべ

廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申き(まおしき)、三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦(いえ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長屋、あきないはかつふつきかぬ処とてなかばさしたる雨戸の外に、あやしき形に紙を切りなして、故粉ぬりくり彩色のある田楽みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならずニ軒ならず、朝日に干して夕日にしまう手当ことごとしく、一家内これにかかりてそれは何ぞと問うに、知らずや霜月酉の日例の神社に欲深様のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかかりて、一年うち通しのそれは誠の商売人、片手わざにも夏より手足を色どりて、 はる着の支度もこれをば当てぞかし、南無や大鳥大明神、買ふ人にさへ大福をあたへ給えば製造もとの我ら万倍の利益をと人ごとに言ふめれど、さりとは思ひのほかなるもの、此のあたりに大長者のうわさも聞かざりき、住む人の多くは廓者にておっとは小格子の何とやら、下足札そろへてがらんがらんの音もいそがしや夕暮れより羽織引きかけて立ちいずれば、うしろに切り火打ちかくる女房の顔もこれが見納めか十人ぎりの側杖無理情死のしそこね、恨みはかかる身のはて危ふく、すはと言わば命がけの勤めに遊山らしく見ゆるもをかし、娘は大まがきの下新造とやら、七軒の何屋が客廻しとやら、提灯さげてちょこちょこ走りの修業、卒業して何にかなる、とかくは桧舞台と見たつるもをかしからずや、垢ぬけのせし三十あまりの年増、小ざっぱりとせし唐桟ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちゃらちゃら忙しげに橫抱きの小包みとはでもしるし、茶屋が桟橋とんと沙汰して廻り遠や此処からあげまする、誂え物の仕事やさんと此のあたりに言うぞかし、一體の風俗よそと変りて、女子の後帯きちんとせし人少なく、がらを好みて巾広の巻帯、年増はまだよし、十五六の小癪なるがほうずきふくんで此姿はと目をふさぐ人もあるべし、所がら是非もなや。。。。龍華寺の信如、大黒屋の美登利、二人ながら学校は育英舎なり、去りし四月の末つかた、桜は散りて青葉のかげに藤の花


















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