MY FAMILY






次男 幾郎の次女 メイ(芽)です
1911年11月23日生れ

1912年4月写
second daughter of our secnd son Ikuo




到(長男)の次女亜美と由唯の七五三お詣り 2010,11,14
Celeberation of 7 and 3 years old for Ami and Yui, daughters of Itaru, our elder son














荻窪八幡神社にて








碧(あお)七五三お詣り 2009,11,7
"Ao" daughter of my second son, at 3 year's celebration
次男 幾郎の長女 元気一杯、腕白娘です
 




2009,11,7 幾郎家族と荻窪八幡神社にて
with Ikuo's family







沙耶 (長男到の長女) の七五三お参り 2008,11
7 year old's celebration for "Saya", our first grand daughter
at Ogikubo Hachiman shirine, Tokyo











2008,8,30 
 碧(アオ 2才, 次男幾郎の長女
並の男の子には負けないきかん坊です。

"Ao" our third grand daughter 2 years old, daughter of Okuo, 30,Aug.2008







到宅にて家族勢ぞろい
Our family members gathered in Itaru's house on Oct. 8, 2006









沙耶 (当時3才7ケ月)が描いた絵です
painted by Saya 3 years old, my grand-daughter














家族の近況 


(2014,10,15)
妻美佐子は5年ほど前に大腸ガンに冒されていることが分かり、その後3回手術を受けるために入退院をくりかえしていましたが、
背椎にある神経を冒されたために、半年間は完全に下半身不随となってしまいました。
抗がん剤による総合病院での治療はもう限界だとのことで、約半年は自宅でのベッドと車いすの生活をしていました。
免疫療法、海草、温熱療法、丸山ワクチン、びわ灸などなどガンに効くと言われている治療をあれもこれもと試みましたが、残念ながら本年5月に他界してしまいました。
それでも最後まで、好きな読書と音楽を楽しみ、それほどの苦痛もなく、自分は幸せだったと語ってくれたことは、少しの慰めにはなりました。

二人でよく国内外の旅行と登山を楽しみました。

ここ
をクリックして旅の写真などをご覧になってください。

現在長男到はシンガポールへ赴任してアジヤの各地をとびまわっています。

次男幾郎は名古屋本社へ転勤となり、鎌倉から名古屋へ引っ越しました。
望んでメーカー部門から商社部門へ移転させてもらったので、商社マンとして張り切っています。

(2012,11)
幾郎に次女メイ(芽)が誕生しました。

(2010,7,6)
到はピーター・ドラッガー教授の下でMBAの資格をアメリカで取得後帰国して経営コンサルタントとして、米国系のコンサルティング会社で頑張っています。
現在娘3人の父親です。

幾郎はトヨタ自動車のプリウスなどの新車の開発部門から新規開発事業部門へ移った後、現在関連商社でガソリンの代替燃料などの開発部門での事業に携わって頻繁にフィリピンなどへ出向いています


(2008,12) 幾郎は会社勤めをしながらも、相変わらずウインドサーフィンは続けています。
何でも国内ではプロに伍して5位以内にランクされているらしく、10 月には実業団の大会で優勝しました。


(2006/8/3)幾郎が8月2-3日に行われた、伊勢湾カップのレース、フォーミュラーウインドサーフィン級で優勝しました。
ウインドサーフィンからは引退したのかと思いきや、日本でのウインドサーフィン競技では最大のレースと言われている伊勢湾カップで6度目の優勝をしたことになります

(2006/7/2) 幾郎は蒲郡で行われた日本ウインドサーフィン連盟主催のフォーミュラーウインドサーフィン級のレースで優勝しました

(2006/5/7)幾郎に長女が産まれました。

(2005/12/29)  幾郎が結婚しました。
式はバリ島で12月23日に執り行なわれました。

(2005/1/10) 幾郎は新しい勤務先に近い名古屋に引越しました。

(2004/8/8) 8月7日ー8日に伊勢湾カップレースが行なわれました。
幾郎は実質的には引退をしており、4月以降ほとんど海に出ていませんでしたので、これにも不参加のはずだったのですが、急遽これに出ることになりました。
数ヶ月間のブランクから体力の衰えが大きく、本人もあまり自信がなかったようでしたが、終わってみると、何と優勝をしてしまいました。
これで、伊勢湾カップでは5回目の優勝となるわけですが、これまでは2回の優勝が最多であるそうですから、大変な記録だそうです。
もっとも練習不足が原因で手はまめだらけになっていて、これまでになく疲れたそうで、試合後はよれよれになっていました。
やはり選手は常に練習を重ねる必要があるのですね。


(2004/7/15) 幾郎はトヨタ自動車で本人の希望する部署に勤務することが出来ました。既にスポーツの世界を離れて新しい分野での再スタートをしています。

(2004/4/26) 幾郎は4月11日から18日までトルコで行われた日本からのオリンピック出場者を決めるための選考会を兼ねた世界選手権に出場しました。
競技の前半までは調子がよく、他の日本選手より良い成績であり、調子もよかったので大いにその後のレースを期待していたのですが、なんと第6レースで他艇に接触されたために肋骨を痛め、自力では岸に戻れないために船で曳航されて、救急車で病院まで運ばれるほどのるほどのダメージを受けてしまいました。
病院からは3日間の安静を言い渡されたのですが、幸い骨折には至っていなかったようですので、痛み止めの力を借りて最終日までレースを続けたのですが、それからの成績はさんざんとなり、残念ながらオリンピック出場の条件である日本人選手の中でのトップ成績を得ることが出来ませんでした。
事故でありましたし、相手もその非を認めていたわけですから、そこで本人が協会に申し出をすれば、事故の後のレースを棄権しても、それまでの成績からオリンピック出場も可能であったのですが、本人はそれを潔しとせず、敢えて申し出をせずに無理をしてレースに出場したのだそうです。

その志や善しとするところですが、これまでの彼の努力を見ている者としてはなんとも複雑な思いがします。

多分これで彼は競技生活にピリオドを打つことになるのでしょうが、これまでにこのスポーツによって得た経験はそれがハイレベルのものであっただけに、大変な貴重なものであったようで、何にも変え難い財産になることでしょう。
ちなみに幾郎のウインドサーフィン世界ランキングは16位までになり2004年度では20位でした。


                                                                      
                               

                                         






バリ島での幾郎の結婚式に集まったわが家族
左から次男幾郎、その妻舞子、私、孫亜美(2才)沙耶(4才)長男の妻はる菜、美佐子、長男到

from left to right : Ikuo (younger son), Maiko (wife of Ikuo) ,myself, Ami (younger daughter of Itaru),
Saya ( elder daughter of Itaru),
Hruna (wife of Itaru), my wife, Itaru (elder son)
at Bali island, December, 2005





2005年8月到家族と氷川キャンプ場にて
左からはる菜、亜美、到、美佐子、沙耶

Camping near a river in Tokyo
Haruna, Ami, Itaru, Misako and Saya (from left to right)

August, 2005





バーベキュー役の小生







めずらしく全員揃ったわが家
右から長男到、妻・美佐子、到の長女沙耶、到の妻・はる菜、次男幾郎 (私はカメラマン)
from right to left: Itaru (elder son), my wife, Saya (granddaughter), Hruna (wife of Itaru), Ikuo (younger son)
at my home on April, 2003



2003年11月 沙耶2態
Saya Nov. 2003







2005年正月、緑町にて
右より到、(故)曾おばあちゃん、亜美、沙耶、到の妻はる菜

Jan. 2005, Itaru's family and their great-grandma.







2002年釜山でのアジア大会では三位(銅メダル)でした
Ikuo Inoue got bronz medal at the14th Asian game held in Busan in October, 2002.










左より私、幾郎、美佐子、コーチの前地さん
from left to right
Myself, Ikuo, Misakao, Mr. Maichi












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